村井幸子2月のコラム 毎日新聞(2019、2、28)

 

■ 2月のコラム『金持ちなのに、下品な人々』(2019,2,28 毎日新聞)
http://saisei-kanazawa.jp/archives/category/column
お金では買えないものがある。 品位、人徳、才能。
ところがそうは思っていない人々の統治を、私たちは受けている。
どこにいるかって? 官邸を見よ!
(以下 コラム全文)

● 村井幸子の変じゃありません?(毎日新聞2019.2.28) 
『金持ちなのに、下品な人々』

淡谷のり子さんを宿泊ホテルに迎えに行くと、小柄な体を伸ばすようにフロント係に聞いている。
「私のお支払いはおいくら?」

もう30年ぐらい前のことだ。そのころ私は「金沢にも小劇場文化を」とサブカルチャーの殿堂といわれた「渋谷ジァンジァン」金沢版の運営に熱中していた。

無論、来演者の宿泊料は私持ちである。宿泊部屋でのわずかばかりの飲料代も込みで引き受けるのが習慣だった。
淡谷さんにそう告げると、彼女はくるりと向き直ってぴしゃりと私に言った。

「お黙り!」

自分が飲んだジュース代など宿泊費以外の料金を支払った後、続けて言うには(概略)
「折角(文化を広める)いいことをしているのに、相手を甘えさせてはだめ。甘えさせれば相手はつけ上がる。だから、いいことをしたことにならない。これからは甘えさせないと約束せよ」

そしてなんと、男性ピアニストと付き人にも宿泊費以外の飲料代を支払わせたのだ。

まことに正論である。
問題は金額の大小ではない。

淡谷さんは私に社会全体の「行儀」というものを諭し、躾けたのだった。

以降、私は100本近い舞台を制作していくことになるが、その度に「何のためにやるのか」という原点を説明できるよう、自分を躾けていくようになる。

当時、淡谷さん82歳。

没落した呉服商の生家を助けるため、若いころから絵描きのヌードモデルになるなど、様々な人生をかいくぐり、自身の体で「世間」を養っていた。
貧困のために品位を失うことなど一切なかった見事な生き方だった。

翻って昨今の政治シーンはどうだろう。

鼻先でせせら笑う。
着席のままで野党にヤジを飛ばす。
上から目線で長々と意味不明の答弁をする。
ーーテレビが映し取る総理、副総理の品のなさは見ている方が恥ずかしくなるくらいのものだ。

私達が見ているのは、我がままで負けず嫌いの甘えん坊が大人になって答弁席に座っている姿である。国会開催期間中、どれだけの国民が一国を代表する2人のために恥ずかしい思いをしていることだろう。

相当贅沢な環境で育ったはずのこのご両人、人間としての品位だけは学ばなかったらしい。

なぜか。
理由は簡単である。
一文の得にもならない教養なんぞ、彼らには無用。
利権と自己保身にしか興味がないからである。
そして一族に「淡谷のり子」がいなかったのだ。

総理の学んだ成蹊大で政治思想史を教えていた加藤節氏が安倍総理が「講義を受けにきた記憶がない」と言及しつつ、彼の「無知と無恥」を指摘した談話は衝撃的だった。
(2016年6月3日付 FRIDAYウェブ版)

これを、「云々」を「でんでん」と読むというお笑いめいたエピソードに矮小してはいけない。

求めるべきなのは人間としての品位である。

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